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zoom RSS 私の 『部活』 遍歴 ブラスバンドに溶接部!

<<   作成日時 : 2017/04/24 15:01   >>

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私の部活(クラブ活動)デビューは小学校の4年生の時、ソフトボール活動だった。
放課後に数人の先生が指導をしてくれた。

私は子供会のソフトボールチームでピッチャーをしていたので、その関係で部活を
始めた記憶がある。

小学校で指導してくれた先生の中にA先生がいた。20代後半で長身、彫りの深い
顔をした熱血漢だった。しかし、この先生は半年後に逮捕されることになる。

それは、恋人を殺害し、布団に巻いて遠賀川に遺棄した容疑だった。  A先生が
逮捕された日私たちが住む炭住(炭鉱住宅)には、A先生の顔写真を探す記者で
あふれた。


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中学校に入った私はブラスバンド部に入部した。顧問の先生は春樹先生(みんな
名字で呼ばずに名前を呼んでいた)で、「のだめカンタービレ」の竹中直人さんが
演じた人によく似たユニークな人だった。

私はクラリネットを吹くことになり、学校や家で練習した。

私が住む炭住長屋の一画に、場違いな戸建ての大きな家があった。ヤクザの親分
の家だった。親分の息子の修ちゃんとは仲良しだったので、時々家に遊びにいった。
親分はダイナマイト工場を経営していた。修ちゃんの母親とは離婚し、後妻と修ちゃ
んの3人暮らしだった。

ある日、後妻さんが私のクラリネットを聴きたいと言うので、親分の家で「可愛いベー
ビー」などを披露したこともあった。

市内の合同演奏会に参加したときは。リード(口で銜えて吹く部分)の調子が悪く音が
出ないので、吹く振りをしてごまかした。

3年生になると春樹先生が「オーボエ」を吹くように指示した。クラリネットより小型で
リードが細い楽器だった。
しかし、私の管楽器は中学で終わることになる。

画像
            オーボエ

私が入学した高校は「工業高校」だった。学校創立の翌年に入学したので私たちは
2期生だった。体育館もできてなかったので、入学式は隣の小学校の行動で行われ
た。 授業の時間割に「作業」という科目があった。この時間は生徒が学校のグラン
ドなどを造る手伝いをする。モッコで土運びをして「かよわかった」私が少しづつ逞し
くなっていった。

通学は電車で片道40分かけて通うので部活はしたくなかったが「一人一つは入部
すること」との方針で、選んだ部活は「卓球部」だった。なんとなく楽だろうと考えた
からだったが同じような考えの者が多いのか入部希望者は100人を超えた。

しかし、この卓球部には肝心の卓球台が2台しかなかった。1年生は毎日ランニング
とうさぎ跳びばかりで卓球台に立つことはなかった。

2年生になって卓球部を退部し「溶接部」に入部した。

入部したきっかけは、実習での屈辱的な体験からだった。

工業高校は座学の他に実習の授業がある。旋盤で金属を加工したり溶接作業をす
る。 ある日の溶接実習で、講師が私と川原の二人を指名して溶接作業をさせ他の
生徒によく見るように言った。

溶接作業が終わったあとで講師が「二人は、いい見本(川原)と悪い見本(私)だと
言った。

この経験で溶接の腕を上げたいと思い入部したのだった。

社会人となり就職してから、会社のボウリング部とスキー部に入った。

私の部活は20才台で終わった!

これからは終活だ!



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